今一度、「モダン」であること

20150319

今一度、「モダン」であるということ


 

20150319

引用元:Le Corbusier and Pierre Jeanneret, OEuvre Complète Volume 1, 1910–1929, Les Editions d’Architecture Artemis,Zürich, 1964

 今じゃメディアで「モダン」といった言葉がつけられた建築を見つけることは珍しくもなく、近年には‘和モダン’と呼ばれる建築すら存在しているわけですから、‘モダン’はある建築像を表す言葉として大分一般に浸透しているような気がします。
ところで、建築のモダンといえば、その起源をどこまで遡るかにもよる話ですが、20世紀初頭ル・コルビュジエやグロピウス、ミース等の作品によって世に知られ始めたとみることができるかと思います。それにつれ、日本においては丹下健三や前川国男等の活動が西洋建築の影響を受けつつ、日本ならではのモダンを展開していました。
そういうふうに捉えると、モダンがこの世に紹介されたのも最早100年ほど経過していますが、その短くない年月を経る間、はたして建築の「モダン」はどのように人々に定着してきたでしょうか。 当時モダニズムを訴えていた建築家たちが建築に込めていた考えをすこし置いておくのであれば、やはり「モダン」とは、´箱のように角張っていて装飾的な要素を省いたシンプルな建物’といった印象が支配的ではないかと考えられます。 確かに、建物とは一方でそれこそ人の生活と離せられない人工物として日常の中に溶け込みながらも、他方でその存在感からくる視覚的インパクトは依然として無視できないわけですから、モダンといった言葉と建物の「形」が対になってしまうこともうなづけるところがあります。さらにいえば、そういった言葉と形の関係性はモダンな建物だけに限る話でもなく、いわゆる何々様式と呼ばれるあれゆる建物が然りであり、そのような事情が建物を実用の向こう側に位置づけ、一つの造形芸術として認識させているのも事実です。 しかし、当然ながら建物は単なるオブジェではないわけで、建築の形がただ形の話だけで完結するのであれば、それも随分短絡的であるとしか言わざるを得ないです。特に、建物の「モダン」を先導した建築家たちとなれば、建築を‘住むための機械’と定義したル・コルビュジエがいたり、他にも「機能主義」や「合理主義」等を通じて建築の形を導こうと試みたわけですから、「モダン」が‘視覚的’形としか結びつかなくなるのはどうも皮肉なことかもしれません。 そしてそういった意味では、建築が「モダン」であると定義づけることのは、今じゃありふれた表現でありながらも、実は未だに謎めいているとも言えます。

そこで、このコラムでは、‘建築が「モダン」であること’を今一度問うてみる場を作ることが出来ないかと思います。

何を今さらと思われるかもしれないですが、意外とその地道な問いかけこそ、現在の建築が抱える諸問題につながっている気がしませんか。

 

株式会社エヌ・シー・エヌ/理想の家づくり編集部