【コウゾウノハナシ vol.001】 〜若者の構造離れ〜

201312

建築デザインと構造(1)

若い人たちの構造離れ


201312建築学科のなかでも、もっとも工学的な色彩の強い構造系の学生が減少していると聞く。

”構造”に魅力を感じないのは、構造がいつも縁の下の力もち(悪く言えば、建築家の下請け的存在)で、自己主張や派手さがないからだろうか・・・。
もともと、構造に対する社会(建築家)の要求は、安全とコストに集約されてきた。1980年代のバブルのさなか、建築家やデベロッパーたちがポストモダンだ、デコンダ、ハイテクだとうかれているあいだも、構造は、もっぱら耐震安全性とコスト的合理性の追求に明け暮れていた。一般的にエンジニアリングとは、定められた技術目的を最低のコストで達成すること(美的な感覚はどうであれ)と解釈されてきたようだ。
耐震設計の規基準や指針類が氾濫し、設計者はそこに記された通りに数値計算をして、その結果に従って自動的に算出する。これでは、構造設計をお定まりの数値計算をコンピューターで行い、行政庁の手続きに歩きまわり、確認申請のお手伝いをするのが主な仕事だと誤解されても仕方あるまい。
このような手続きが終わって、ほっとひと息ついていると、今度はコスト問題が出てくる。バブル経済が破綻した近頃はなおさらである。コスト問題をどうとらえるかは別にして、まずは歩掛かり(単位面積あたりの構造材の量)を少なくすることに専念し、規準の最低限を狙って計算をやり直す。
構造設計社のほとんどがこのような仕事を繰り返しているのが現状であろう。知的な部分の大半は難しい耐震理論や解析技術、コストをターゲットとした構法開発に向けられ、そこには、力の流れとデザインや創造性といった”構造の美学”は全く存在しない。このような構造界の風潮が若い人たちの”構造離れ”を起こさせたといっても過言ではない。
知的な満足感は、解析技術や難しい理論を保持するよりも、バランスのとれた美しいシステムを構築するプロセスにあることを若い人たちに示すのが私たちの時代の役割なのかも知れない・・・

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