~始まりは一九五一年の「2DK」~【3匹の子ぶたvol.048】

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第2章 あなたの家の値段はいくらですか?


あなたの家の値段はいくらですか?(13

始まりは一九五一年の「2DK」

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利用価値のある(資産価値のある)間取りは変遷しているという意味で、
少し間取りの変遷についてお話ししたい。

戦争の痛手から立ち直りつつあった一九五五年、
サラリーマン向けの公団住宅等を供給するために日本住宅公団が発足した。

公団では新しい時代に即した新しい住宅をつくろうと「食寝分離論」による住宅、
つまり食事をする部屋と寝る部屋が別になるような間取りの家をつくることになった。
それまで、日本の住宅では、朝晩はちゃぶ台を出して食事をし、
夜は布団を敷いて寝室にする暮らしが当たり前だった。台所は暗い土間の一角に置かれていた。
最近の昭和ブームの映画を見れば、こうした暮らしをしていることがわかる。
ある年齢以上の人には懐かしい光景だろう。

これに対して、住まいを近代化させようと考えられたのが、食事する部屋と寝る部屋を分離し、
それぞれを独立させる住まい方だった。こうした考えのもとで、
一九五一年に公営住宅の標準設計として考えられたのが二DKの原型となった間取りである。

ただし、二DKといっても当時の床面積は狭くわずか一〇・七坪にすぎない。
それでも、食堂と台所が一体となったDKは新鮮だった。

一九五〇年代後半から住宅公団が都市部郊外にたくさんのニュータウンをつくるようになると、
二DKの住戸は急速に広まっていく。

どのニュータウンにも無駄な空間は極力排除された二DKが整然と並び、
そこに住む人々はテレビや冷蔵庫、洗濯機、掃除機を置いていった。

台所と食事が一カ所にまとめられたことで、料理を運ぶ手間は少なくて済み、
家事を機械が助けることで主婦の仕事はずいぶん楽になったとされている。

さらに、二〇年が過ぎ、経済復興、高度経済成長を経るなかで、
家族団欒のスペースとして茶の間に変わって「リビングルーム」が登場する。

ここには絨毯が敷かれ、テレビは当然のこととして、ソファやピアノ、ステレオなどが置かれた。

その一方で、家族のプライベートな空間が必要とされるようになり、
子ども部屋ができる。こうして夫婦の寝室と子どもの数の個室+共有スペースの「nLDK」
(nは世帯人数から1を引いた数)の間取りが確立してきたのである。
この流れはさらに進み、親のために書斎などの個室化も進んでいくようになる。

そして、床面積よりLDKの前に来る数字が大きいほど、
暮らしが豊かであると見なされるようになった。

部屋数の多さは家族それぞれの個室が確保されている、
ということになるからである。 この流れは住宅公団から民間集合住宅へ、
さらに建売住宅へと広まり、いつしか家を建てるときには、
nLDKという間取りで考えることがすっかり定着してきた。
以来、半世紀を過ぎたが、この基本プランは変わっていない。


このコラムは、2007年に発刊された「家、三匹の子ぶたが間違っていたこと」【ダイヤモンド社】の内容から、 弊社代表取締役田鎖郁男の記事を抜粋して掲載しています。詳細については、書籍をご覧下さい。 ………………………………………………………………………………………………………………………………

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