~「商品住宅」から「しつらえる住まい」へ~【3匹の子ぶたvol.066】

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第3章 つくる住宅から、しつらえる住まいへ


 「商品住宅」から「しつらえる住まい」へ

最近の家は「商品」になっていると感じる。
家族は住宅メーカーのカタログどおりに住むことを押しつけられているような気がしてならない。
家は、商品なのか? 住宅メーカーのマーケティングサイドから見れば、単価と利益が決まった商品であり、
その耐用年数も計画どおりであるべきものだが、違う立場にいる私はそうあるべきではないと思う。

世界に尊敬されていた時代の日本の家づくりでは、家をつくることを「普請する」といい、内装には「しつらえる」という言葉が使われていた。
「普請」とは「普(ルビ:あまね)く人々に請う」、つまり大勢の人に頼むことを意味していた。
そして、家のなかをつくることは「設える」と書いて「しつらえる」と読む。
この「設」という漢字は、「設ける」と書くと「もうける」と読んで「設置する」とか「準備する」という意味で使う。
「しつらえる」とは「美しく整えること」という意味も持っている。

家は多くの人の手によってつくられ、丁寧に整えられていく。
なんとも趣の深い言葉である。「設計」も本来その意味である。
ところで、古くから日本家屋の襖や建具に「しつらえる」という言葉が使われていたのには、わけがある。

平安時代の「寝殿造」は、太い柱が立ち並ぶだけの構造的な間仕切りのない板敷きの大広間形式(大空間)であった。
開放的な空間を日常生活の都合や、季節の変化、年中行事の接客饗応に応じて屏風や障子などで仕切る。
また、畳を置いて、その都度適切な空間演出を行なった。
この室内空間の設営を「しつらい」と呼んでいた。昔の日本の家は、「しつらい」によって、長く使える仕組みであったのだ。
つまり、本来、日本の家屋は「つくる」ものではなく、行事により「しつらえる」ものであったのだ。
私は、日本人の住まいは、この「しつらえる」という感覚に戻っていくべきだと考えている。

「しつらえる」とは一人ひとりの住まい方・価値観に応じて準備され、つくられていくもののことであり、
つくりつけの商品を選んで取りつけることには決して使われない言葉である。
すでにできているものを買うのではなく、自分に合うものを丹念に、丁寧に一緒になってつくっていく。
ある個性を持った特定の人のために手で練ってこしらえていくことだ。

さらに、季節に合わせて生活を楽しむというような、日本人が脈々と受け継いできたものづくりの伝統の力が
「しつらえる」という言葉には込められているようにも感じる。

ただし、誤解が生まれやすいので確認しておきたいことがある。
しつらえるとは、大工さんがこつこつつくることと同義語ではない。
それでは、単なる懐古趣味と同じになってしまう。
第1章でも触れたように、大工神話の勘と経験に委ねて、ただつくってもらえばいいというのではなく、
ユーザーであるあなた方一人ひとりが、その生活に合わせて設計することを意味しているのである。

 

sanbiki「家、三匹の子ぶたが間違っていたこと」 田鎖郁男・金谷年展(共著)

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