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家、三匹の子ぶたが間違っていたこと
【三匹の子ぶた vol.08】〜大地震は周期的に集中して発生する。日本は地震活動期に入ったのか?〜のインデックス
大地震は周期的に集中して発生する。日本は地震活動期に入ったのか?
一方、日本の歴史をたどると、いかに日本が地震によってはかり知れないほど大きな犠牲を強いられてきたかがわかる。上図には明治以降の日本で起こった巨大地震とそれによる被害の状況を示した。これを見るとわかるように、明治以降、死者1,000人以上出した地震は実に11回。なんと13年に一度は起きている計算である。ところが、それほど頻繁に大地震が起こっているという感覚を多くの人は持っていないはずだ。それは、大地震はある時期に集中して起こるからである。
日本においては巨大地震が連鎖的に立てつづけに起こる地震活動期と、あまり起こらない静穏期が、ある一定の周期で繰り返されてきた。巨大地震は連鎖的に立てつづけに起こる地震活動期にやってくるのだ。
では、一番最近の地震活動のピーク、巨大地震が立てつづけに起こったのはいつだったか?それは第二次世界大戦中から戦後にかけてである。1943年から48年の6年間に、1,000人以上の人が亡くなる大地震が日本各地で5回も連発している。
その前に大地震が連発した時期はというと、さらに遡ること約90年。あのペリーの黒船が来航し、日本に開国を迫った幕末の1853年から3年間に、やはり立てつづけに起こっている。
1853年3月には、小田原をマグニチュード約7の大地震が襲い、小田原城の天守閣が崩れ落ちるという地震が起こった。そして1854年12月に東海地方を震源に発生したのが、マグニチュード8.4という安政東海地震である。このときには震度4以上の揺れが実に東北地方南部から四国までに及んだといわれており、各地で多数の死傷者を出したが正確な数字はわかっていない。さらにこの翌日、紀伊水道から足摺岬までの海底でもマグニチュード8.4とされる安政南海地震も発生した。翌1855年11月には、江戸にマグニチュード6.9という直下型地震(安政江戸地震)が起こった。町人の死者は4700人に達し、そのほとんどが圧死だったといわれる。また、1856年にも江戸北方でマグニチュード約6.5から6の地震が起こっている。
巨大地震は周期的に発生するのである。
こうした歴史的な事実から、平成の関東大震災は2006年〜2036年の間に、マグニチュード七レベルの地震が70%の確率で発生すると予想されている。いつ発生してもおかしくない状態なのだ。むしろ、1923年の関東大震災発生から今日までの関東地域での静寂のほうが不気味なのである。
神戸大学都市安全研究センターの石橋克彦教授は、戦後から現在に至る日本の発展はたまたま日本列島の地震活動の静穏期に合致していたからだと語っている。確かに、第二次世界大戦後の経済復興時代から1995年の阪神淡路大震災まで、1000人規模の死者がでるような大震災が日本を襲ったことはない。
しかし最近、複数の地震の専門家から日本の繁栄をもたらした地震静穏期は終わり、1995年の阪神淡路大震災を始まりとして、「本格的な地震の活動期に入っているのではないか」という意見が出ている。石橋教授も2005年に衆議院予算委員会で意見を求められ、「現在、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつある、ということはほとんどの地震学者が共通に考えております」と発言している。近年、全国各地で多発する地震のニュースを見ていると、それはありうると思うのは私だけではないだろう。
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